奇跡のリンゴ 石川拓治

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

【本を読む目的】
・IT系の知識習得に固執しすぎており、視野がだいぶ狭くなっていると感じるので、これからは全く逆の超アナログな感覚を大事にしようと思い始めたため
・青森への旅行の際に、新幹線でこの本を読み、感情移入する

【感想】

ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り会うことができるんだよ

まさにこれを実現した男のサクセスストーリーである。


自分がやりたいことをやりたい風にやる人生はだれもが望むものだが、多くの人がそれを実現できないのは、失敗を恐れるからであろう。
つきなみだが、大事なのは「あきらめないこと」なのである。

当然、奇跡のリンゴ農家の木村さんは、それを体現したからこそ、成功を手に入れることができたのだが、なぜ「あきらめないこと」を実現できたのだろうか。


それは、


 -すべてを自分の目で確かめ、自分で調べ、自分で試行錯誤のアクションをとることで、常に小さいが確実な進歩を実感していたから
 -試行錯誤した結果、常識よりも今目の前で起きていることのほうが正しいと確信することができたから
 -無農薬でリンゴを栽培する。それを自分の使命であると胸に刻んでいたから


だと思う。

INPUTだけでなく、自分の頭で考え、自分の思ったことをとにかく実践してみることで、必ず進歩が得られるのだと思う。

脳化社会に引きずり込まれてしまっている我々は、知らず知らずのうちに膨大の量のINPUTはできてしまっている。
しかし、脳の思考回路を発火させ、OUTPUTすることに決定的に欠けている。

そしてやはり、どんな仕事であろうと、「自分がなぜそれをしているのか」=使命を胸に刻んでいないと、情報の海で溺れ死んでしまうのだと思う。
使命とは、情報の海におけるコンパスのようなモノではないだろうか。

また、どんな専門的な分野であれ、その分野だけの知識では打破できないと思う。

私は百姓だからな。
(中略)
百姓は百の仕事という意味なんだよ。百の仕事に通じていなければ、百姓は務まらないのさ。


と木村さんは言う。
土壌の水量や養分の変化、土壌にすむ細菌、リンゴの木によってくる虫、、、これらの知識を自分の畑で観察(INPUT)し、作業(OUTPUT)をすることで体得しているのだ。

そしてそれが正しいか、正しくないかは、

一流の学術誌に掲載されるかどうかではなく、リンゴ畑の姿で、リンゴの木がどれほどよい果実を実らせるかできまる


のである。


それ以外では、農業というITとは完全にはなれた世界の話と思いきや、奇跡のリンゴ農家の木村さんは、もともと理系で東京に出稼ぎにきたときにコンピュータと出会っている。
そのころを振り返っての一言が印象的。

コンピュータは過去のデータを利用する機械にすぎないんじゃないかと思ったの。
どんな高性能のコンピュータだってさ、データを入れないと使えないのな。
データっていうのは過去だ。過去のデータをどれだけ集めて計算したって、新しいものは生まれてこない。未来は開けない。コンピュータというのはさ、
私に言わせればただの玩具なんだよ。

だけど、この機械によって、やがて人間が使われるようになるんだろうなって思った。
人が創った機械に人が使われるようになるんだとな。
今の世の中を見れば、その通りになってるよ。
コンピュータと同じでさ、他から与えられたものしか利用できない人がすごく増えてしまった。
自分の頭で考えようとしないの。インターネットだってそうだよ。
みんな答えはインターネットにあると思い込んでしまうのな。

ITに対する懐疑をテーマとしながらこの本を読もうと思っていたので、この部分は妙に胸に響いた。まさにその通りだと思う。